フェミニズムについて思うこと

フェミニズムについて、勉強不足の面は多々あるが僕が思うことを書く

 

◆日本の現状

最近、ネットを見ていると日本社会が「女性優遇」だの「男性差別」だといった意見をよく見かける。

 

僕は日本はいまだに圧倒的な”男尊女卑社会”だと思う。自分の場合、幼少期から大学時代にかけてそこまで女性と関わりがないタイプだったのであまり男尊女卑の実感がなかったが、大学を卒業して会社員になると明らかに扱いの差を感じた。

 

例えば、いま勤めている会社は従業員数がそこそこいる中堅企業だが、女性の管理職は片手で数えられるほどしかいない。管理職にならないと大して給料は上がらないので、男女における収入の格差はバカにならないだろう。

 

またセクハラには非常に厳しいが、会社の飲み会に出席するとやっぱり女性が注文を取っていることが多いし、お酌をしていることもある。

 

これだけ見ても男女平等とは程遠い状況だろう。

 

◆日本の歴史を振り返る

僕は中国の歴史が好きなのだが、中国史を見ると唐の武則天を筆頭にカリスマ性を感じる女性がけっこういる。

 

一方、日本史を振り返ると持統天皇北条政子は尖っていて面白いが、近世になればなるほどカリスマ的な女性が表舞台に出てこなくなってしまう。(やっぱり武家文化の影響が強いのかな)

平安時代の和歌を見ると、貴族層の女性がけっこう赤裸々に自己表現しているし、鎌倉時代は女性に対して土地の相続権が認められていた。こうしてみると鎌倉後期以降、日本で内乱状態が長く続いたことも影響しているのかなとも思う。

 

また、僕は小津安二郎成瀬巳喜男といった昭和の映画監督の作品をよく見るのだが、当時はことさら女性への扱いが良くなかったことがわかる。今だと一発でセクハラ認定される発言がバンバン出ることにまずびっくりするし、どの映画でも女性の幸せが結局のところ結婚に結びつくことに違和感があった。(同じ時期に作られたアメリカ映画を見てもやっぱり日本は異質だなと感じた…)

 

昭和時代がこんな感じだし、平成が終わりそうな今現在も大して本質は変わっていない。きっと明治、さらには江戸時代から変わらず受け継がれた日本人のメンタリティなんだろう。

 

◆なんでだろうね

なぜ日本の男尊女卑の風潮はなかなか改善されないのだろうか。原因はそもそも日本人の根本的な人権意識が希薄だからだと思う。

 

歴史を見ても日本という国が国民を丁寧に扱っていた時代があまり思い浮かばない。(精々、戦後からバブルが弾ける頃までじゃないかな)

 

江戸時代は明確な身分制度があり、弱いものは過酷な税の収奪に苦しめられていたし、明治になってからもなんだかんだで華族・平民をはじめとした身分の区分けは残り、弱者は急速な富国強兵のもと虐げられていた。

戦争時になると、兵隊は厳しい軍隊序列の名のもと常に理不尽な暴力に晒され、挙句の果てには特攻して玉砕することを命じられる凄惨な運命を辿る人も多くいた。

 

戦後になっても、理不尽な精神論や厳格な上下関係は軍隊から会社・学校に引き継がれることで生き続けた。ただ、戦後はバブルが弾けるまでは経済が急速に発展していたので「愚直に一生懸命働けば」明日の生活を良くすることができた。だから多くの人は人権が度外視された過酷な労働環境でも頑張ることができたのだと思う。その反動で苦しんでいるのがまさに現代の日本なのだろう。

 

結局のところ、人は自分が優しく扱われることで初めて他者に優しくなれる

逆に自分が冷たく雑に扱われると、自分より弱い存在につらく当たるものだ

日本の失敗は、そもそも日本人の人権意識が希薄なまま、あくまで表面的に男女平等を取り入れてしまったことに尽きると思う。

 

日本男性の多くがブラック企業と呼ばれる過酷な労働環境に置かれ、上司や顧客に無理難題を強いられている状況で女性という他者に優しくできるわけがない。

 

満員電車がいい例だ。東京の満員電車は男女問わずに地獄のようなものだが、日本は満員電車を解決する前に女性専用車両を作ってしまった。僕自身、女性専用車両は必要だと思うが、満員電車を解決するほうが根本的な解決になるし、優先度も高いはずだ。

 

企業の労働環境や雇用についても同じことが言える。日本は少子高齢化に伴い労働人口が減少している関係で女性の労働力を当てにしている。だから女性が積極的に採用されているわけだが、そもそも非効率で無駄な働き方を改善し、少ない労働人口でもうまく仕事が回るようにするほうが先だった。男性は女性に雇用を盗られたと感じるし、女性は男性と同じように過酷な労働に晒され、すり減る結果となってしまった。

 

最近のネットではミソジニー(女性嫌悪)、ミサンドリー(男性嫌悪)的な発言をよく見かける。たぶん理由はうえで例に挙げたように「男性からするといままで見下していた女性が台頭してきて恐怖を感じ、女性からするといまだに男尊女卑の雰囲気が残った状態で無理やり土俵に上げられることになってしまい、不満を感じている」からだと思う。

 

まずは他者に優しくしようと思える社会設計にしないと、この問題は今後悪化するばかりだ。(女性に相手にされない不遇な男性が増えている問題についても別の機会に記載したい)

 

 ◆今後どうすればよいか

まず、女性は女性同士で徒党を組むべきだ。強い男性と組むのではなく、女性だけでグループを作るべきだ。そして不満や改善点を発信するべきだ。(最近実践している人は増えてきていると思う)

 

自分も身に覚えがあるのだが、男性は利権を守る際には団結できるという強みを持っている。要は強者に分類される男性同士でガッチリ団結することで自分の地位を維持できることを知っている。

 

僕も一匹狼タイプなのであまり群れたくはないのだが、自分の地位を向上させるためには組織を形成することが必要不可欠だ。

 

日本女性の人生における最適解は、金を稼ぐ能力のある男性と結婚することだと言われることが多い。その気持ちはわからなくもないが、少し残念だ。

強い男性に追従しても、結局はおこぼれにあずかれるだけで自分が主体にはなれない。

(Twitterで知ったけど、強い男性におもねる女性を”名誉男性”と呼ぶらしい。成り上がるためには手っ取り早い手段だと思うが賛同はできない)

 

日本人は不満を感じても何も言わない人が多い。残念ながら自分の声で意思表現をできない人に未来はない。

 

日本企業がAIやRPAを使いこなすのは難しい

僕は会社員だが、現在AIやRPAといった最近流行りの技術導入を担当している。

仕事の中で見えてきたものがあるので記載したい(半分愚痴)

 

◆AIやRPAは簡単なツールじゃない

当たり前だが、AIやRPAは導入してもすぐに結果が出るほど簡単なシロモノではない。

 

まず社員自身がITリテラシーを高める必要があるし、後述するインプット情報のメンテナンスや、業務フローの最適化などやることは山盛りだ。

 

ネットを見ると「チャットボットでエンドユーザーに対する窓口業務を自動化した!」だの「RPAのロボットで何千時間分も業務を効率化した!」だの夢のような記事が大量に転がっている。たぶんITについてよく知らない経営幹部層が飛びつくケースが多いのだろう(僕の会社もたぶんコレ)

 

残念だが、そんなに甘いものではない。

 

◆そもそも業務を自動化するロボットの作成は難しい

AIと聞くと大層なことができそうだが、実際のところまだ技術としても黎明期であり、理想と現実のギャップに困惑することも多い。

 

チャットボットが世間で騒がれているが、あれを問い合わせ窓口業務に使おうとするとお客さんから来るであろう質問とそれに対する回答を全てパターン化してチャットボットに覚え込ませる必要がある。

 

つまりAIはまだ自動学習する段階ではなく、人間が全て想定されるケースをあらかじめ教えてあげる必要があるのだ。(将棋やチェスのAIも全てのパターンを網羅しているに過ぎない)

 

問い合わせの内容をデータとして蓄積していない企業は、まずインプットとなるデータの整備から始める必要があり、それには凄まじい労力を要する。

 

RPAも似たようなものだ。RPAはホワイトカラーの事務的な業務を自動化するツールだが、やはり普段の業務手順をロボットに覚えさせる必要がある。

 

僕も実際にRPAのロボットを作ってみたが、業務を自動で実行しようとするとエラーが頻発する。なぜならロボットに覚えさせたExcelファイルの名前等が実際の運用時に異なるとそれだけで不整合を起こし、エラーと判定してしまうからだ。

 

このようにRPAは非常に”デリケート”なツールであり、実運用に向けて失敗と修正を繰り返す必要がある。

ただ、日本人はシステムのエラーを基本的に”あり得ない”ものだと認識している節があり、僕の会社でもユーザー部門にRPAをいじってもらったところ「エラーが頻発してめんどくさい」との声が多かった。

 

まずはツール自体への認識を改める必要があるだろう。

 

◆社員の仕事へのモチベーションが低い

これは散々言われているので、僕が記載するまでもないかもしれない。

そもそもの話だが、実際に業務をしている社員は「効率よく仕事をしよう」などと思っていない。理由は単純で効率よく仕事をすると、まったく自分に関係のない業務の尻拭いをさせられ、結果的に損になるからだ。

 

もっと深刻なことを言うと、AIやRPAを使って業務を効率化すると自分の居場所が無くなるという切実な理由もある。

 

日本企業では、しょうもない雑務をダラダラと時間をかけて処理するほうが結果的にお金を稼げる仕組みになっている。産業革命以前の労働者は個人が技術を囲い込んで職人化し、仕事内容をブラックボックス化することで自分の価値を高めて資本家とやりあっていた。おそらくこれと似たことが現代の日本企業でも発生しているのだろう。

 

そんな環境でいきなり「AIやRPAを使って効率化!」と言われても業務担当者は困惑するだけだし、自分の居場所を守るために力の限り抵抗するのは当然とも言える。

 

だが歴史は必ず繰り返す。産業革命が起こった結果、多くの職人がただの労働者に落ちぶれてしまったように、単純作業にしがみつく社員は時代の流れに一掃される運命だ。

 

◆ロボットのメンテナンスが大変

たぶんこれが一番重要な問題だが、ロボットは作ったらそれで終わりではなく継続的にメンテナンスする必要がある。

 

具体的には業務内容が変われば、それに応じてロボットへのインプット情報を更新する必要がある。例えばチャットボットを窓口業務で利用している場合、何か新しいサービスを始めた際に、新たに来ることが想定される質問とそれに対する答えを紐づけてチャットボットに追加で覚えさせる必要がある。

 

RPAの場合も同じで、例えばExcelから別のExcelへ記載内容を転記するロボットを運用している場合、Excelのフォーマットが変更になったときにその変更内容をロボットに認識させないとエラーが発生してしまい、業務が止まってしまう。

 

システムのメンテナンスにはそれなりの知識が必要だ。ユーザー部門にロボットのメンテナンスまでお願いする場合、果たして知識を蓄積するための時間的な余裕はあるのだろうか(個人的には、RPAでも最低100時間以上は時間をかけて勉強しないとまともに運用できないと思う)

 

話を聞くと、RPAのロボット作成を外部ベンダーに丸投げしている企業が多いらしい。そんな状態ではまず間違いなくロボットの運用保守はできないので、極端な話インプットにするExcelのファイル名が変わるだけでロボットはエラーを吐き出し、使い物にならなくなってしまう。高いお金を出してロボットを作成してもらったのにもったいない話だ。

 

◆まとめ

多くの日本企業はAIやRPAを利用する以前に、以下の基本的な課題を解決する必要があると思う。

①既存の業務に無駄がないか見直す

⇒僕の会社の話だが、業務で使用しているExcelがやたら凝っている。明らかに使っていない項目なのに「昔からある」という理由だけで残っているため、無駄に複雑でわかりにくい”キメラ”状態だ。また、Excelを作成する担当者によって項目名が微妙に違ったり、ファイルの記載内容に西暦と和暦が混合していたり、細かいツッコミどころはかなり多い。

こういった無駄を省いたり、仕様を統一することでAIやRPAを使わなくても、自ずと業務が効率化されるのではないだろうか。

 

②業務内容の範囲を明確にする

⇒これをやらないといくら業務を効率化しても結果は出ないだろう。最悪出番のなくなった社員は首を切られる可能性まである。

 

③業務をブラックボックスにするのではなくフロー化して共有する

⇒正直これが一番重要だと思う。日本企業の社員は自分の居場所を死守するため及び残業代を稼ぐために簡単な仕事さえもブラックボックス化する。その結果、自分がどのような仕事をしているか周囲から実態を評価されにくくする。「忙しい忙しい」言ってたのにフタを開けてみれば小学生でもできることをやっていたなんてよくあることだ。

自分がどんな仕事をしているか、どのような手順で処理しているか、どれくらい時間をかけているかについてはきちんとフローに起こして公開するべきだ。抱えている仕事の物量を客観的に評価してもらうことで、上司も適切な仕事量を配分しやすくなるはずだ(これすらできないなら業務効率化は夢のまた夢なので諦めたほうがいい)

 

以上、思うことを長々と書いたが、現実は厳しいと思う。残念ながら僕の会社を見渡しても上記のことを実現できる気があまりしない。たぶん強いリーダーシップを持つ人間がトップにならないと無理だろう。

 

ただ、僕も実際にAI技術に触れてみて、この分野には凄まじいポテンシャルを感じた。今後はAIをうまく使いこなす企業や人間が勝者になっていくことは間違いない。

 

僕自身、AIが個人の生活と密接に結びついた世界の到来を楽しみにしている。

SNS全盛期におけるブログの役割

ブログの初投稿記事として今後の自分の方針を書こうと思う。

まず、タイトルにもあるが現代はSNSの全盛期だ。TwitterYouTubeInstagram等、素人が文章や動画、写真を通して世界中に自己を発信できる時代になった。これはわりと革命的なことだと思っていて、今後も一個人が自分を一種の"作品"としてアピールする流れは止まらないだろう。

その中でブログの役割についてだが、ブログは僕が中学生の頃はネットの発信場として全盛期だったように思う。同級生の女子生徒がブログを書いていてそれをROMっていたことを鮮明に覚えている。

その後、mixiが台頭したことでブログは廃れ始め、現在は短い文章で自分の意見を発信するTwitterが文字起こしのコンテンツとして主流であるという認識だ。

2ちゃんねる等の掲示板を見ても長文は避けられる傾向にあるし、ビジネス文書も簡潔なものが好まれる風潮は確実にある(ついでにプライベートにおけるLINEでのやりとりも)

ブログのメリットは長文で自分の意見を発信できることに尽きると思う。短文だと自分の意図が思うように伝えられないということに最近今さら気づいた。
長文を書くことで自分の頭にある考えが整理されるのは間違いないだろう。

ということで、自分の意見をまとめることを意図してブログを始めてみた。今後は好きなジャンルについて幅広く思ったことを発信し、後で確認したときに楽しめるような記録として残していきたい。